にっき

 

なにか(運動/行為/存在/日々/いろいろ)が、あるルールやロジック、コンセプトに従って連続すること/羅列されること/繰り返されることの単純な美しさや魔力が好きです。整然としていること。ちゃんと決まっていること。

けれど同時に、そのなにか(運動/行為/存在/日々/いろいろ)が、それ自身の加速度的/突然変異的なエネルギーにより、そこにあるロジックやルール、コンセプトから、ずれていってしまう、逸脱していってしまうことが、もっと好きなのです。

だってなんだか、笑っちゃうじゃないですか。


+えにっき

えにっきを描いた残りのクレヨンを展示し、残り物からどんな絵だったのか、どんな1日だったのか想像してもらおうと思った。
けれどいつのまにか、クレヨンをポキポキ折り、クレヨンの上に落書きし、目の前にあるクレヨンが本当にクレヨンなのか考えたりしてた。
目的やコンセプト、全部置いてきぼりにして、 身体とクレヨンは、ただリズムに乗って踊る。

日々は似て非なるものとも言えるけれど、大同小異とも言えて、今日がどんなにドラマチックな1日であったとしても、それは所詮昨日の平凡な1日と同じく 24時間あって、太陽と月と重力に支配されていて、私は女で日本人で、そういう意味では別に大して変わらない平凡な1日だ。私の日々に決まりごとはあらか じめ数限りなくある。 しかし一方で、日々は大同小異とも言えるけれど、似て非なるものとも言えて、実は自明の決まりごとなんて何一つないのかもしれないとも思うときがある。1 日は24時間あって、太陽と月と重力に支配されていて、私は女で日本人で日々クレヨンを残す―−ほんとうに?同じ日々を繰り返し、同じ行為を繰り返すうち に、私はよくわからなくなってくる。繰り返されるリズムはあらゆる形式、秩序、論理を無意味化していき、存在はやがて好き勝手に踊りだす。

本作品は、 絵日記を描いた残りのクレヨンを展示し、残り物からどんな絵だったのか、どんな1日だったのかを想像してもらおう、というコンセプトからスタートしなが ら、その頭で考えた目的/コンセプトから、毎日クレヨンと戯れる身体、そして作品そのものがどんどん逸脱していくさまを展示。また同時に、違うようで同じ で同じようで違う、日々の自由さ/不自由さや、リズム/運動/行為による論理/秩序の無意味化と、そのすべてを超えて、連続し繰り返され積み重なっていく ことの美しさ、日々存在するということのエネルギーなども表れた作品となっている。


 「えにっき 08/01〜08/31」 第10回SICFグランプリ受賞!→

 「えにっき 2009/08/01〜10/31」

第10回SICFグランプリ受賞決定プレスリリース→
グランプリ展プレスリリース(SICF審査員のコメントあり!)→



+こえにっき

わたしの声は毎日変わる。少しだけ変わる日もあるけれどだいぶ変わる日もある。
けどぜんぶ同じわたし。ちがうひとみたいだけど全部同じわたし。
でも嘘かも知れないね。ちがうひとかもしれないね。
むずかしいね。でもなんだかたくさんの声が音楽になったよ。

毎 日、その日の日付・曜日・日の出や日の入りの時間・見えるかもしれない星などの決められた要素を、日々の体調や機嫌によって変化する声色に乗せてカセット テープに吹き込み、そのテープを会場の様々な場所で再生することで、作家(自己)がどんどん分裂・増殖し、その「自己」同士がハーモニー/ずれ/重なりを 生み出すという作品だが、日々増殖することにより、作品の根本、また、増殖の最初の核となる「自己」という存在がどんどん疑わしくなってしまうさまを表し ている。これは全部「作家」の声なのか。ほんとうに一人の人間の声なのか。そもそも昨日の作家(自分)と今日の作家(自分)はほんとうに同じ、連続した自 己だと言い切れるのか。自明だと思われていたルールや常識が揺らいでいき、その全てを内包したうえで、さまざまな声が偶然のハーモニーを生み出す作品であ る。


 「こえにっき 2009/08/01〜10/31」



+ねむりひめにっき

いろんなひとの枕元で、わたしはお話をする。いろんなひとの眠る前の顔を眺めながら、わたしはお話をする。昨日も今日も明日も。

さあ、おかしくなったのはどこからでしょう。
どこからが
夢だったでしょう。



3月の後半の14日間、毎夜違う人の部屋を訪れ、その人が眠る前にベッド脇で『ねむりひめ』を読み聞かせるこ とにした。読まれている人はねむりひめと見間違えるような金髪のかつらをかぶって、その夜の『ねむりひめ』の話を聞く。ものがたりが終わるまでの間、私は 目の前にいる人のためだけにものがたりを読み、そして読み終わると静かに立ち去る。行く、読む、去る、を、14日間繰り返した。

14の連続した夜に、14の別々の人たちに繰り返し読まれる『ねむりひめ』は、日々の些細な出来事 で揺れる私の気分や、その夜の相手、二人の間の距離、そのひとが奇妙なねむりひめのように金髪を広げて眠りにつこうとしていること、ものがたりが繰り返し 読まれること、その他作品の様々な要素や構造自体のせいで、すこしずつ変容していってしまう。誰のものがたりだったのか。どんなものがたりだったのか。で も、ものがたりなんてそんなものなのだろう、とも思う。

展示では、ベッドと、ベッドの周りに14日間の読み聞かせを録音した音源を流すスピーカーとその様子を記録した写真を配置した。ひとりのための読み聞かせを体験できない代わりに、来場者はベッドに横たわりその14日間の読み聞かせを同時に楽しむことができる。


 「ねむりひめにっき 2010/03/18〜03/31」


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