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はじめから、いなければ、それいじょう、なくせない。
ていう、ありがちな、まけおしみ。
(でもたまに、そのただしさにうちのめされたりもする。)
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はじめから、いなければ、それいじょう、なくせない。
ていう、ありがちな、まけおしみ。
(でもたまに、そのただしさにうちのめされたりもする。)
「死ぬのは必然で、しかも偶然なんだもん。」
(いとうせいこう)
最近
本気を出せば、結構一人でやっていけるものだな、と感じている。
なんだって、やる気になれば、あたしは割とできちゃうんだな、と。
いやいやでました勘違い娘それ自分が思ってるだけだってばほんと天然だわウケルー
というひとも
そんなことよく知ってますよ賢いデキルおねーさんじゃないですか何を今更改まって
というひとも
子供がいてもおかしくない年齢なのになにを馬鹿なことをほざいてるのまったく呆れるわ大人なんだから一人で生きていけなくてどうするのほんと子供でも産んでみればいいのよほら
というひとも
何を言ってるんですかあなた人という字を見てくださいほら支えあってるでしょ孤独なんてないんです人は一人では生きていけないほらそのお米はどこの誰がつくってると思ってるんですか
というひとも
いると思うけれどあたしが言っているのは多分
もうちょっと感覚的でもっと個人的で場合によってはずっと具体的なこと。
どんどんどんどん。
あたしが
誰にも甘やかされず、誰も甘やかさず、
それでもいつのまにか平気に生きていけるようになっている。そんなこと。
自立した大人としてなるべく多くのことを一人できちんとできた方がステキに決まっているし
それに結構その方が自分も楽だったりする。
自分の思い通りに自分が動けて結果を出せることは
それがたとえばお風呂場のカビを根こそぎ取ることだろうが
宇宙的に壮大なプログラムを書くことだろうが
いずれにしろ割と気持ちのいいことだ。
それなのに、甘やかされると、人はいとも容易く駄目になっていく。
できるはずのことだってどんどんできなくなる。
最初はたとえばいつだってやろうと思えばできたとことでも
みるみるうちに、本当にできなくなってしまう。
平気だったはずのことも
地道な訓練を重ねて平気だってことにしたはずのことも
あっという間にダメになる。
子供が親に甘やかされるのとはちょっと違う。
ずっと自覚的で、ずっと厄介だ。
年をとればとるほど、あたしたちは取り返しがつかない。
だから甘やかされない毎日や、甘やかさない毎日は、とても平穏で堅実だ。
自分もスポイルされないし、人もスポイルしない。
何も失わない。
そういうきちんと一人である人たちが二人一緒にいるということは
とてもバランスが良く、爽やかで、正しい。
一人+一人の二人。
だけどどうしてか。
性懲りも無く。
鬱陶しいほどに、あたしはあの感じに、今なお強く惹かれ続けている。
徹底的に甘やかして、取り返しがつかなくなるまで甘やかされて、
一人では圧倒的に足りなくなってしまうあの感じ。
正しさも健全さも微塵もなくて
ただみっともなくて我侭で無様な二人に成り下がっていってしまう、あの感じ。
なんにもいいことないけれど
それでも二人がそこにいるための揺るがない理由が明確にあるということは
それだけでちょっと羨ましいと思う。
それが短絡的だとか大人げないだとか絶対不幸になるだとか視野が狭いだとか頭が悪いだとか
言われるような感じだとしても
少なくともあたしは結構幸せだったから。
甘やかして、甘やかされた、むかしむかしのあの感じ。
むかしばなしになる頃には、またきっと。