沈むのや浮かぶのはスキだけど。
泳ぐのはなにか納得がいきません。
それはあたしの水泳技術ではクロール50mが限界だということとは関係ありません。
一切関係ありません。
とにかく
要するに
何が言いたいのかというと
ヒトは泳ぐべきものではないような気がするのです。
健康のため。遊びのため。競技としてタイムを争うため。
いいじゃない。いいんじゃない?
別にそれに対してとやかく言いたいわけではないのだけれど。
それはそれとして。
楽しんでいるヒトがいるのはそれとして。
純粋にその行為だけを抽出して
「うーん」と首をめいっぱい傾げたなら
なんとなく
「ヒト」
(イメージして下さい。手とか脚とか頭とかが割と頼りなく縦に長い感じで配置されています)
が
「泳ぐ」
(イメージして下さい。4種類の泳ぎ方に犬掻きなど独創的なものも加えましょう)
のは、無理がある気がするのです。
海や川を支配する魚たちは鮮やかな身のこなしで水圧を分散し
その波と波の狭間にあたかも道が用意されていたかのように流れるように泳ぎます。
哺乳類のイルカや鯨だって、あのぬめりのある肌は水を味方につけたようでずっとお似合いです。
あたしたちはただ手や足をばたつかせ
肺呼吸も止められず
かといって美しく飛び上がることもできずに必死に水面上に口を突き上げ
自然界に痛めつけられた皮膚を引き摺る
それはなんだか
やっぱり虚しいほど不恰好な気がしてしまうのです。
ヒトが水と戯れる正しい方法。
それはやはり
浮かぶか沈むかしかないような気がします。
水と空気を半々に染みこませながらひたすら漂流するか
強大なエネルギーに巻き込まれゆっくりと瞳を閉じるか
たぶんどちらも泳ぐのよりはずっと自然で
ときには可笑しいほど
ときには哀しいほど
ひどく美しい。
流れに任せることの正しさ。
正しいことは美しいのです。
(とはいえ醜いもののほうが魅力的だったりすることもあって。そのお話は、またいつか。)