子供の頃あたしは
まずパーマン3号(パー子)のバッヂを持っていて。
それからひみつのアッコちゃんのコンパクトも持っていて。
あとあとクリーミーマミのステッキも
ストーリー後半で登場する星型タンバリンも持っていて。
そういうの、全部。
テレビ通り。
ほんとに機能するものだと、思いこんでいました。
婦警さんやら看護婦さんやら車掌さんやら花屋さんやら
あたしはいつだってちゃんと
それらに変身できていると、思っていました。
鏡に写るのはいつもと変わらない
目と目が離れ気味な見慣れたマヌケ顔でも
周りには正しく見えていると。信じていました。
だって実際
呪文を箪笥の陰で唱えて颯爽と現れるあたしはいつだって。
婦警さんみたいな口調で喋り、看護婦さんみたいに手早く絆創膏を貼り
そう。
惚れ惚れするぐらい、かっこよかったんです。
ある意味でそれは
ごっこ遊びでは無かった気がします。
そんなものよりずっとめんどくさい
魅惑的な思い込みだったんです。
やがてあたしは少しずつ年をとり
やがてあたしは少しずつ恥をかき
やがてあたしはちゃんとふつーに。
ゴム飛びしたりお喋りしたり音楽聴いたり読書したりカラオケしたり
まあ、それなりに。したり。したりしたり。
で
変身!とか
かわいいね。笑っちゃうね。
そうー、小さい頃は結構素直だったんだよねー。
騙されやすくてさー。いじめられっこだったんだよねー。
思うようになりました。
むかしむかし。むかしのこと。
てくまくまやこんてくまくまやこん。
ぴんぷるぱんぷるぱみぽっぷん。
(ところでこういう呪文って。どうやって決めるんだろう?すごくステキだ)
けれど最近になって、ごっこ遊びがスキなわけです。
ぴんぷるぱんぷるぱみぽっぷん。
今度はちゃんと遊びです。
それにもうヒトになろうとするわけではありません。
感情のごっこをするのです。
様々な感情をうまくコントロールしてオペレートするのに
ごっこは驚くべき威力を発揮します。
悲しいごっこ。楽しいごっこ。大好きごっこ。友達ごっこ。もうどうでもいいごっこ。
全てをごっこにすることによって
あたしはキミをグシャグシャに握りつぶすことも
ドロドロに呑み込むことも避けられるんです。
これは
想像するより遥かにステキで
憧れるよりはやや大したことではないことです。
が
とにかく二人の境界線を侵害することは
もう、大丈夫。ないんです。
あたしたちはちゃんと
いつまでも2個の固体にとどまり
体積はこの皮膚を突き破らない。
それに
ごっこは遊びなので
全てが終わればその感情がマイナスでもプラスでも一様に楽しいんです。
あー終わったね
と
そのあとは。
イヒヒとかプププとかケラケラとかとにかく
何にせよ全部笑えちゃうんです。
だから。
たとえばどちらにしろ魔法は解けるのなら。
だらだら続くごっこ遊びだって、意外と。
悪くはない、と思うのです。