小さな本物をさりげなく。シックでスマートな女性の鏡です。
だけどあたしにとって宝石といえば。
やっぱり小さいとき憧れた
テラテラキラキラちゃちに輝くバカっぽいおっきなニセモノなのです。
そう、おもちゃ売り場の片隅でそれらは色とりどりに輝いて。
あたしはそれらを毎月少しずつママに買ってもらうごとに、
一歩ずつ確実に憧れのお姫様に近づいてる!と信じていました。
(各所で言ってますが、小さい頃あたしは、大きくなったら姫になろうと思ってました)
大きくなったあたしは
いくら宝石を身につけても
そう簡単には姫になれないことをさすがに知るようになりました。
それ以前に、本物の宝石は
そう簡単に買えるものでもないことも知りました。
ましてや、中世以前の姫たち
(そう、あたしのイメージする姫はいつだってボワッっていうスカートにちょうちん袖のドレスを来て、城の最上階の小窓から、民衆を眺めて微笑んでいなければならないのです)
が身につけるようなやたら大きい宝石なんて
多分日本の小市民のあたしには
一生手の届かないものだという現実も目の当たりにしました。
当たり前です。
夢ばっか見て生きてくわけにはいかないのです。
小さなダイヤのついた指輪に涙して
小さな幸せを大事に育みながら生きてくのが立派な人生ってものなのです。
わかってるんです。
一応は、わかってるんですけどね。
それでもやっぱり。
オトナになりきれないあたしはお姫様ごっこをするのが大スキで。
そんなとき身に纏いたいのはテラテラキラキラ輝く
プラスチックやガラスの宝石たちなのです。
できれば笑っちゃうくらいちゃちなやつがいい。
虚構を遊ぶためにはそれくらいでないと危険です。
考えてもみてください。
本当に姫になったら、いつかは女王にならなきゃならないんですよ?
そんなの、かわいくないじゃないですか?
ずっと姫でいるために。
あたしはニセモノを選びます。
ニセモノの世界とニセモノの宝石。
どちらも本物に必ずしも見劣りしません。
むしろ時にそれらは。
本物よりずっとずっと
デリケートでチャーミングだったりさえするのです。
これは宝石の一部を名前に貰っているあたしの
翡翠の上品な輝きに対する宣戦布告とも言えます。
憧れるけれども、超えていけるように。
ちゃちでも、めちゃめちゃに輝けるように。